ついに本当のことだけを語りたいからブログを始めることにした

ブログを始めることにした。

小さい時から嘘つきで、本当のことを隠してきた。

他の人に本音を話すことが苦手で、断ることが出来なかった。

自分が本当にやりたいこと、本当に好きなことがわからなかった。

殆どの事柄について、自分の意見に自信がない。

たとえば服の話。

自分が着たくて買った服ではなく、母親に買ってもらったけれど、自分の趣味ではない服を、一人暮らししている今でさえ、着ることがある。

思春期に、母親と街に出かけるので洋服に着替えると、何その変な格好、と指摘され、母親の指定する服に着替えさせられることが、しばしばあった。

言われた通りにするときもあったし、「これが着たい」と小さな抵抗をすることもあった。母親は自分の意見に絶対的な自信のある人で、また、世間的に見ておしゃれな人物である。実際今振り返ってみても、母親の指定する服装の方がかっこよかったり、自分に似合っていたと思う。母親に買ってもらったジャケットを彼女が見て、「これおしゃれだね」といったこともある。彼女はおしゃれで服が好きな人なので間違いないと思う。それでも僕はそのジャケットを手放そうと思った。残念なことだが、自分のためには、それが今は必要なことだと思う。

僕は母親のことが好きで、愛着しているが、信頼することが全くできていない。これは悲しいことで、そのようでなかったらよかったと思う。

自分の着たかった服を否定され、違う服を指定されていた時代。僕は本当は傷ついていた。大きく傷つくときもあれば、小さく傷つくときもあった。傷ついていたことに、今日初めて気づいた。当時は、たとえば、かっこいい服ではなく、かわいい服が着たかった。それは、単に自分の嗜好の問題であったが、性や性自認の問題にも関わっていたと認識していたので、表現することを躊躇っていた。また、自分の性格ももちろん関係していた。姉のように、自分の好みに自信があれば、母親の指摘に対して、強く言い返すことができ、大喧嘩をしても、自分の気持ちのために戦うことができただろう。僕にはできなかった。母親は、いわゆる「毒親」「過干渉」と言われるほど、加害性があったわけではないと、客観的に思う。ただ、自分の意見を押し付けたり、子供の意見を尊重しないきらいが些かあったということと、僕の引っ込み思案な性格が相まって、僕は、自分の好きに自信が持てず、自分の気持ちがわからなくなってしまったのだと思う。

服の話が長くなってしまった。とりあえず、今は、下着からよそゆきの服に至るまで、母親や父親から与えられた服や靴は手放すことにした。「もったいない」「恩知らず」という気持ちや考えとは、自分の心の尊厳のために、一旦距離を置くことにした。

非公開の日記に書けばいいことだが、あえて公開のブログで書きたいと思った。他人に読んでもらいたいからだ。僕は自分の意見を隠してきたので、本当の意味での対話をせずに二十数年育ってしまった。結果、偏見や思い込みを蓄え、それに一種のプライドを持つようになってしまった。人に見せないからこそ、採点されず、傷の付いていない、僕の自慢の偏見たち。ある意味ではガラパゴス的に進化し、それが人とは変わっていて、興味をもたれることもあり、長所なのかもしれない。しかし、本音を隠す癖、嘘を突く癖が、僕が長期的な人間関係を保てない理由だったのは間違いない。だからこそ、このブログは公開して、人の目に晒すのが目的だ。そして、人に向かって、正直に自分の気持ちを告白するのが、このブログを通して、僕のやりたいことだ。

だから、匿名性を保てる範囲内で、本当のことを赤裸々に書きたいと思っている。

嘘をつくことで、人を傷つけることがたくさんあった。

自分から関係を終わらせたことも何度もあった。

やるといってやらなかったり、人と始めたことを途中で投げ出したりしたことがあった。

全部が後悔の種であり、僕の恥ずべき惨めな歴史だ。

反省は目的の一つだが、謝罪も美談も書きたくない。目的は、今までこれだけの長い間、たくさんの人と関わってきて、ようやく初めて、本当のことを話すということだ。くどくなってしまうのは僕の特徴だが、ここらへんで終わらして、今日は、今日の自分の生活に戻りたい。